最近堤防釣りに行ってないなぁ…釣掘ばかり行くようになった今を振り返る

先日久しぶりに海釣り公園という場所へふらっと出かけ、テトラで穴釣りを楽しみました。

足場のよい釣りテラスは平日の真昼間にもかかわらず釣り人でいっぱい。みんな釣り好きだなぁと横目で見つつ、久しく使っていないUガイドの脈釣りロッドと太鼓リールをセットしていく。

エサはアオイソメを一杯。遠くで船のエンジン音がボォォーーっと聞こえ、港湾エリア特有の無機質な雰囲気に包まれながら穂先の動きに没頭する。

釣れたのはカサゴが数匹とウミタナゴという釣果でしたが、数時間の釣りは何とも言えない充実した時間に思えました。

堤防釣りばかり行っていた過去を振り返る

今私が運営しているこのサイト、もともとの始まりは「堤防釣り専科」という名前でした。

始まりは2014年頃、当時色々な人のブログを見る傍ら、ブログを通して勉強したり新しい釣りにチャレンジしたものです。

自身が最も親しんできた堤防釣りの楽しさとか、釣れない人の悩みを解決するコンテンツを作りたい。そうした思いで書き始めたのがきっかけでした。

当時は休みのたびに、時には仕事が始まるまでのわずかな時間すらも惜しみ、あちこちの漁港や堤防へと足を運んでは、四季によってさまざま移り変わる海釣りを満喫していました。

一人でも向き合える趣味としての釣りの価値を知る

毎週のように通っている釣り場がありました。私は朝暗いうちから釣りをしているのですが、必ず9時ごろに現れる常連さんのようなおじさんと肩を並べていたのです。初めはいつもいる人だなぁと(多分向こうも思ってたと思いますが)横目で見てましたが、ある時ふとしたことで会話になったのです。

おじさん曰くほぼ毎日来ている。定年したが奥さんには先立たれ、健康のために自転車で1時間かけてきていると。エサはオキアミをブロックで買って、小分けにして持ってきている。小物を釣っては他の釣り人と話すのが楽しみなのだと言っていました。お金がかからず時間を忘れて没頭できるのが堤防釣りという趣味。

見る人が見れば淋しいおじさんに見えるでしょう。ただその目は死んでおらず、無邪気に海を見つめて魚と戯れる姿は今でも頭に焼き付いています。

身近な川へ行けば麦わら被ったおじいちゃんが竿を出している。釣りという共通の趣味を持った人が話に花を咲かせられる。釣果だけではない、釣りというものの楽しみ方を全然違う側面から考えさせられた経験でした。日本の海辺の原風景とも呼べるようなゆっくりと流れる時間が、いつまでも続いてほしいなと20代前半の若造ながら心動かされたものです。

しかしそうした釣りは今や1年に数度行くか行かないかというほどになってしまいました。ハマっている釣りと言えば、海上釣り堀、淡水の管釣り、船での沖釣り、小型ボートでの釣りなどにシフトし、手軽で身近で素朴であった漁港での堤防釣りからは足が遠のいてしまっているのが現状です。

なぜこうなったのか、飽きた?堤防釣りが面白くなくなったからなのか?いや、そうではない理由で私は「堤防釣りから逃げ出した」というのが本音といえるでしょう。

仏のような顔の漁師が夜叉のような顔になった悲しみ

ここ数年だけでも釣りを取り巻く環境は大きく変わったように思います。散々言われていることですが、釣り禁止、立ち入り禁止とされる釣り場が年々増えてしまっていますね。

もっと昔から釣り人同士が何かしらのトラブルを起こすニュースはありましたが、実際に釣りの現場に身を置くものとしては表には出ないひどい惨状を度々目にしてきました。

漁港へ行き堤防へと足を運ぶと、必ず目にするペットボトルとゴミが詰まったコンビニの袋。ご丁寧に灯台の台座に並べてあったり、すでに腐って悪臭を放っていたりする。

散乱するフグの死骸、干からびた丸太のようになった巨大ボラ。釣り人のマナーとはいったい何なのか?年を追うごとに惨状はひどくなる一方でした。

何度も通う釣り場では、現場の漁師さんと会話をすることもありました。昔は「釣れてるか~?」と気さくに話しかけてくれて世間話をした場所も、今や釣り人立ち入り禁止の看板が立っています。

穏やかだった漁師さんも苦虫を噛みつぶしたような顔で釣り人を見るようになってしまった。この背後にはどれだけの苦労があったのか…筆舌に尽くしがたいものがあります。

一部の心無い釣り人と同じように見られてしまう悲しさと悔しさからの逃避行

私個人はブログ、youtubeで情報発信をしている身とあり、ごみは持ち帰り、車を止めるときは近くの人に声をかけるなどマナーには気を付けていたつもりです。

しかし現場で生活をしている人から見れば、どこから来たか分からない一人の釣り人に違いはありません。

大人になり行動範囲も広がったことで始めた海釣り。会社勤めの激務を縫って通った釣り場は今はもう入ることすらできません。

気兼ねなく釣りできるはずの場所で見た惨状

仕方なく釣り人に開放されている海釣り公園や、釣りがまだ黙認されている堤防へと足を運びます。するとどうでしょうか、さらなる衝撃の光景が広がっていました。

正規のゴミ捨て場なのか分からない場所に山積みされた、明らかに釣り人が出したであろうゴミ袋の大山。公園岸壁にずっらりと並ぶ場所取りの跡、釣り座を巡ってのよくわからない大人の言い争い。漁港では未来が容易に予測できる、溢れんばかりの迷惑駐車とゴミ放置。

同じ釣り人同士が肩を並べていても相いれないことがあります。エサ釣りVSルアー論争とか、こちらはまた別途書きたいと思いますが、結局色々な人が集まる場所ではマナーとは釣り人の数だけあり、釣り人の思惑一つで千差万別に食い違ってしまうものなのだと実感しました。

こうしたものを目にした結果、私は堤防という場所で釣りをすることから逃げ出したのです。

youtubeなどで広く動画を配信していると良く分かりますね。わざわざ否定的なコメントを長文で書き込むとか、誰の得にもならないような自己満足の意見を書き込んでくる人。何が楽しくてやっているのか分かりませんが、そうした排他的な感情が釣りの現場で吐き出されてしまうこともあるのでしょう。

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海上釣堀など管理された有料の釣り場へハマった理由

堤防への足が遠ざかる中、なんとなく足を運んだ海の釣り堀。

「なんて気楽なんだ」と思いました。

きちんと決められたルールの中で、皆がそれを守って肩を並べて釣りをする。気兼ねなく目の前の釣りに集中できる。

結局人間の善意に任せたものは脆く、外的に統制されたルールを与えられなければ相容れないのか。

昔から親しまれてきたはずの釣りという趣味で、何も悪いことしていないのに後ろめたさを感じるというモヤモヤした感情に疲れていたのでしょう。

それもまた悲しいものですが、釣りが心置きなくできる場所、第3者にけむたがられずに許される場所として、新しい居場所を見つけたような感覚に陥りました。

過去に否定していた場所で気づいた「相互の理解不足」という壁

ただこうした釣りの変化は新しい考え方を切り開くきっかけにもなりました。

正直なところ、私は釣り堀なんて…と軽く見ており頑なに足を向けようと思ってませんでした。泳がされた魚を釣って何が楽しいんだろうと数年前まで思っていた。

一歩間違えば、そんなの釣りじゃねぇや、金ばかりかけて何が楽しい?なんて罵詈雑言をいう人間だったと思います。

海のルアー釣りに関してもそうですね。堤防でエサ釣りばかりやっていた身としては、ルアーマンが隣に来れば口には出さずとも早くどこか行け!魚が散る!と悶々していたものです。

それが今やルアー釣りの頻度のほうが多くなり挙句にはGTとか狙いに海外まで行ってしまっている。

今まで否定していた釣りは、単純にその釣りの楽しさを理解できていないに過ぎなかったということです。

理解できなかったものは楽しさ以外にもあります。釣り人が感じる、「距離感」「釣り魚への考え方」「マナー認識の違い」。

釣りはある意味で一つ一つが文化として歴史を持ち形成されているものが多いと思います。

魚を釣るという目的のために同じ場所へ集まるも、異なる文化の人間が混じればそこに意見の相違は必ず生まれてしまう。それは外部から見ているだけではなかなか理解できないものなのです。

ゴミ問題や駐車マナーなどの問題、それらは道徳的なものですから触れませんが、釣り人が一つになって同じ釣り場で釣りを楽しむためには、相互理解というものがあまりにも足りていないのだろうと考えました。

話は飛びますが、釣りを文化ととらえ、文化間の潜在意識の相違により諍いが起きると例えるならば、これは将来の日本の縮図を見ているようでなりません。人口の減少とともに多数の移民が訪れる。そんな未来がもし来たとしたら、文化の違いを相互理解するという土壌ができていない日本において声の小さなものが嫌な思いをしてしまう。

釣り…という趣味で片付けられるものならまだしも、それが普段の生活の場に移ったとするならばどうなるのか。まあ政治的な話はこれくらいにしましょう。

多様な釣りを理解できればそこから団結できるのかもしれない

ここ数年の釣り人生で得たものは、異なる釣りを文化として理解しようという考えなのかもしれません。

全ての人が色々な釣りの楽しみを共有でき、おたがいの距離感を理解して肩を並べるということは容易ではありませんが、釣りという文化を広く知ろうとする人が増えれば、堤防も穏やかな活気が戻ってくるのかもしれません。

一つの釣りにこだわり道を探求するのもまた釣りの楽しみですが、その道において他の釣りを見下し卑下にするようなことがあってはならない。そう思えるようになったのもまた一つの経験です。

今はyoutubeで色々な釣りの楽しみ方を視聴できるようになっています。この流れは加速していくでしょうし、もっと地域に根差したローカルな釣りを親しめるコンテンツも増えてくるのではないかと思っています。

私も釣りの動画チャンネルを始めましたが、自分の経験した釣り、その結果だけではなく、「何に楽しみを見出しているのか」を共有してもらえるような映像を作っていくのが目的です。

単なる批判や啓蒙ではない、文化を学んで共有していくというアプローチで釣り業界に貢献していけたらいいなというのが願いです。

とりとめのないまとめ

そんな思いが渦巻いている中で再び足を運んだ馴染みの堤防。子供のころから見ていた釣り人の素朴な姿がやっぱり好きなのでしょう。

私が落ち着ける場所はそこに確かにありました。今や海外の釣りや沖での釣りと色々な釣りを経験してきましたが、心境も落ち着いた今再び各地の堤防釣り場を回ってみるのも面白いかなと思いました。

やはり釣りをするからには色々な魚、まだ見ぬ魚、大きな魚を求めるのはロマンです。管理された釣り場にはない、何が釣れる変わらない面白さが潜むのが自然の釣り場。昔よりはまた少し広い視野を持てるようになった今だからこそ、古き良き釣りの原風景を探してみましょうか。

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